言葉の可能性
私は、物事の仕組みが分かることが非常に面白いと感じる。 物理学を研究しているのも、物質で起こっていることの仕組みを追求したかったから。 大学に入って以降は、政治や社会、投資活動などの、人間活動における仕組みにも興味を持ち続けている。
でも、研究を始めてからは、仕組みが分かっても成果として発表しなければ意味がないことにされてしまう。 だから、研究活動をする以上、少なくとも成果を論理的な文章で記述し論文とし、世間の人に納得してもらうまでは行うことになる。
また、大学に入ってから、色んな人との関わりがあって、サークル的なもので人をまとめることも経験し、人同士を結びつけるにはコミュニケーションを尽くすことが大事なんだなと改めて理解させられた。
自分の中だけに考えを留めておくのではなく、言葉をうまく活用して影響力を与えられるようになりたい。 そのためにも、このブログでアウトプットの練習をするつもりだ。
日本は終わっている
日本は終わっているってよく聞く
確かに終わりつつあると言うのはわかる。
しかし、”日本”が終わろうがなんなのか? ”あなた”自身はそういう言葉に支配されて人生の時間を無駄にしているだけではないか? 時間的には今を、空間的には手が届く範囲を、自分の手で変えるように、良くするように動きなさいよ。 世界にアウトプットされた結果がすべてなんだよ。素晴らしい理想や妄想は、現実化され、影響力を与えない限り何の意味もない。
と思っている。 私の社会への態度。
最近好きな言葉
元気があれば何でもできる
故アントニオ猪木さんの言葉だが、これは本当にそうだと思う。元気があればやり直しができるし、やる気が出てくる。健康は大切。
非自明性に面白さがある
研究で最近、おそらく誰も発見したことがない非自明な現象を観測できたらしい。 ラボのミーティングでは最初、誰もその現象の起源を推測できず、自分でも何を見ているのか分からなかった。 しかし、ボスのあるひらめきに基づいた別の角度から検証する実験を行うと、非自明だと思っていた現象の輪郭が3次元的に明らかになり、非常に興味深いメカニズムで生じていることが示唆される結果となった。 より広く再現性の検証が必要だが、もし間違いないようなら、とても嬉しい。
私の研究分野である物性物理学では、数多くの方が分野の行き詰まり感を感じているような気がしている。物性物理学のある界隈では、ある統一的な見方で物理現象を説明しようとする試みが為されてきており、実際、多くの系で成功を収めてきている。 加えて、物理学の特徴として良くも悪くもある単純化された統一的な見方で多くのことを説明可能なように錯覚してしまっているのではないか?
しかし、理論というのはあくまで、自然の輪郭に沿う形で一定のヒエラルキーの範囲で記述するフレームワークに過ぎないわけで、正確性の高い実験事実が理論と反していたからといって、何も問題はないはずだ。 その現象があらたな地平を開くのだから。 これはラディカルな態度だが、理論で説明できる現象に面白さはなくて、 理論で説明できそうにない一見非自明な現象を見つけることが、実験物理学の面白さの一つだと思う。
はじめまして
私は物性物理学という分野を研究している大学院生です。
ずっとROM専として過ごしてきたインターネットですが、自分の意見を書いて発信したいという気持ちが出てきたので、ブログを始めます。
研究分野関連のこともそうですが、社会や政治、投資についても興味があるため、そういったことも書きたいと思います。
アウトプットの練習も兼ねているため、些細な事でも日々思っていることを更新していきます。